ここに和装結婚式のスライドを表示します。津田沼鎮座菊田神社と花嫁の写真など。

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津田沼鎮座 菊田神社の由緒

津田沼鎮座菊田神社とは、千葉県習志野市津田沼に鎮座する神社です。
古伝によると、当神社は「久久田大明神」と称されて、平安時代・弘仁年間(810-824年)には神社として既に存在しております。
その当時は、当境内は小嶋にあって、この嶋を中心として東西両側に岡が形成され、砂土が堆積して入江を形づくっていたようです。 住民の多くは西側岡の崖下に住居を構えて生活をして居り、嶋の上に鎮座されていたお宮即ち久久田大明神を、産土神および氏神として奉斎信仰していました。 旧暦の9月19日を例祭の日と定めて、年毎に祭事を執行していたということです。
また、住民が氏子区内並びに周辺近郷の人と縁を結びますと、これがまことに夫婦円満の家が多く子供達もみんな丈夫に成長し、長命の人も多かったといい、それ故に住民はこの久久田大明神を特に縁結びの神・厄難除の神・安産の神として崇敬していたそうです。
後年この地に商人が出来て、この宮に祈願したところいずれも商売が繁盛したということで、商売繁盛の神としても崇敬されました。

治承4年(1180年)、藤原師経・藤原師長卿の一部郎党が当国に左遷のおり、相模国より船に乗船し相模灘を経て袖ヶ浦へ来ました。 海上が少し荒れていた為に何処か波静かな所はないかと探し求めたところ、たまたま久久田浦の入江と嶋を発見しました。
船を漕ぎ着けてこの嶋に上陸しますと、住民達が崇敬しているお宮がありました。これが即ち久久田大明神で、師経・師長卿は無事に此処まで安着出来たことはこの祭神の御神徳によるものであるとして深く感銘され、このお宮を崇め奉りてこの地を安住の地と定めることとしたそうです。 同時に、祖先である左大臣・藤原時平命を合せ祀り、住民と共に奉斎崇敬しました。なお、後に師経の一族は三山の郷(現二宮神社鎮座地)に移住したと伝えられています。

その後星霜移り年変わりて入江も浅瀬となり、この嶋の土と東西の岡の土を採取し浅瀬に盛土して水田を拡げて、氏神の社名に相応しく「永く久しく栄える国」として耕作するようになりました。
またこの境内地が船の形をしているのは、師経一族郎党が着船したのを記念とする為に浅瀬を盛土するときにこの形に造ったと伝えられています。
宝暦年間(1751-1764)桃園天皇の御代に、社名を菊田大明神と改名。
大正元年11月、区内各町(本郷、丸田、下宿、浜宿)に鎮座されていた八坂神社、金刀比羅神社、大山祗神社、水神社、稲荷社、雷神社の御祭神を合祀しました。

和装結婚式とは

和装結婚式(和装婚礼)とは、和風の衣裳(衣装)を着用して行う結婚式のことで、最近は「和婚」と言われたりもします。
その内容は、女性=新婦は白無垢・色打掛・振袖・引き振袖などの着物を着用し、男性=新郎は紋付・羽織・袴・裃(かみしも)などを着用して挙式を執り行います。
これは文字通り純日本風の伝統的な結婚式の仕方であり、「神前式」「仏前式」「人前式」などの形式があります。
その中でも「神前式」は、日本古来の凛とした伝統的な挙式スタイルであり、三三九度や玉串奉奠などの厳粛かつ神聖な儀式で、永遠の愛を誓い合いたいという要望と相俟って、和婚スタイルの中でも、最近若い層を中心に改めて注目を浴びているようです。

写真: 津田沼鎮座菊田神社の鳥居
写真: 津田沼鎮座菊田神社の拝殿
写真: 津田沼鎮座菊田神社の拝殿・社殿
 
お問合わせ先/津田沼鎮座菊田神社:047-472-4125/婚礼サロンライブリーハート:03-6661-2018
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